上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top
昨日は調子おかしかったです。気分がめいっていたというか…、
というのも、その前の晩に妹から電話で母の話を聞いて、

母特有の物言いで、「一度(妹が)迷った場所にまた帰ってくるというで…」とか、
そんな迷信聞いたこともないのに、妹がなぜか昔住んでた場所を見に行きたいと
久々の帰省で行ったもので、出たんでしょうか。

妹に実家に帰って来て、なるべく家に近い地域で嫁いで欲しい感がすごかったらしく。。。
今妹の1人住む県で付き合っている人と、「結婚を焦って決め」なくとも・・・と言われ、
何だか悲しいです。はっきり言わないのが母特有。

その日は母と電話で、前日妹らと行ったお祭りの最後にやっとタオルを受け取り、
その神社が偶然、私たちの住むとこの神社に近いから?か、
「(うちの息子が)お医者さんになるっていうお知らせやわ」
とか、言うし。。。

こういった母の考え方に思春期くらいから付き合って来て、聞かされてきて
いい加減流せる年齢に私もなってるのに、嫌な気分に引っぱられます。

母の「独特な世界感」を間接的に聞いても、直接聞いても具合が悪くなる
事があり、難儀です。

思春期は、それを普通に受け止め、同じフィルターで世界を見ていた
気がします。無理やり世の中のブラックな事を聞かされてたのですが。。。

高校ぐらいの時、母がおかしくなったときも、なぜか冷静に頑張ってました。
家族皆、「お母さんおかしいで」と言いつつ、病院も父が連れてったけど
お医者さんと合わず、勝手に薬を飲まなくなり、行かず。

当時は、幻聴とか妄想とか急に話せない(失語)、などがありました。
母の病気は一体何だったのか。。。まだ分からない。

妹が覚えてるのは、母が押し入れにこもったことがある、という事件。
私は高校生だったらしく、でも覚えてません、多分ショックで記憶消したんでしょうか。
こういう不安定な母をプチママとしてささえてる時期がありました。

この時期、高校でもキツイ時期でかなり精神的に来てました。
が、逆にここで私がしっかりしな!と踏ん張ってました。

そしてついにキレて、少しずつの不登校に。
でも奇跡のカムバック。はじめて行った心療内科で気が楽になりました。
その時は、クラスの担任が原因と思ってたけど、「母」が原因だったとは。。。
自己を探す大事な時期に、ダブルで来た時期でした。

今は外交的ではないけど、母も一通り普通の生活を送ってます。
私も離れて過ごして、だいぶその「鎖?」もほどけて来ています。
電話で直接過去のつらかった事を言う事もあったけど、謝ってくれてもう言ってません。
消化されてきた感があります。

そんな母も中学生で母が無くなり、継母が来て、義理の弟が出来て苦労してます。
「母」のモデルがいないため、悪戦苦闘した結果、そうなったんでしょうか。
「母」という存在が、子に与える影響を改めて思う今日この頃です。


長く書きましたが、消化されました。
なんだか許せそう。無理せず明日も過ごそう。。切り替え、切り替え。









スポンサーサイト
2010.10.14 Thu l 過古吐き出し l コメント (0) トラックバック (0) l top

コメント

コメントの投稿












トラックバック

トラックバック URL
http://sac31.blog42.fc2.com/tb.php/99-c252d969
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。