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今日は、息子送ってからフリー。しかし、家のことして、あとは横になって過ごしてました。疲れ取りの為の1日で良し

昨日は、友人が遊びに来て、ご飯食べてお話。意見違ってたりもしたけど、自分を出して、すっきりした仕事のミスも消されて良かった

先週末、ふとしたことがキッカケで波がありました

私と実母の関係で。やはりあの当時は、(ダブルバインド:母娘間でよくある)という、名詞が存在する心理状態にいたんだと分かり、涙…

取り戻せない時間や、長い間自分がどう生きたい!とか、嬉しいがほぼなかった時期の哀しい感情が急にフラッシュバックで号泣しました。

普段は誉める、だけど娘が選んで着た服に母親が、「そんなの着ていくの?」と、否定的な言葉を掛けて、着ていかない風になる→結局、自分で何かを選ぶ自信がなくなる→母に何かと聞いてしまう娘

母親は、無意識に支配してるとは気付かない。このような状態をダブルバインドというらしい。実例より。

他、知ってる人の悪口を話して、私はすっかりその人達が嫌いになった。確かに母の言う通り、気になる嫌な点もあった。でも、会うとSAD症状が出るまでになった。悪口で私をストレス発散に使ってたんだな

時々爆発もした。これが本来の自分だった。自信ないから、自分がないこれが私の病の種だった。

友人関係にしろ、発表怖さも…人目を気にしていたから。中に何もないのを見抜かれそうだったから??

母こそが、一番人目を気にしていたと結論。あの時は、あぁする(母の話を聞き、大人ぶって回答したり慰めた発言を
する)しかなかったと考えている。今は、社会不安障害治療に入って以降、母とは距離を取り、自分の考えがある。

社会不安障害になって当たり前の環境にいた。ある日、担任に○○は目立たないなぁ、どうしたら目立てる?なんて…クラスの集まりで皆の前で言われて、トリプルで自分や他人に絶望したなぁそして、順番は記憶を消していて、、、あやふやだけど、母が押し入れに入ったり・・・不安定で頼りにしたい人が頼りない。もちろん、つらいことを話す友人はおらず。(うわべのグループには入ってたな)消えたかった高校生時代。しかし、母は初めて、高校生の私を心療内科に連れて行った人でもある。楽になる方法(高校はすでに出席しなくても卒業できるよ、と主治医より聞いたり、気持ちの軽くなるお薬の話を聞く)があると、現状を軽くする方法を一応見つけてくれたのは感謝かな。

あれがあったから、社会不安障害の治療も、かかりやすかった。いわゆるSSRIやら、抗不安薬をもらうことにも抵抗が少なかった。

思春期から、とくに良くない環境に長くいて、大人を演じたりしてたなぁ、頑張ってきたと振り返りました

治療開始して(服薬開始)、自分の心の声に耳を澄ませて来たから分かった、過去からこれまでの歩み。
どうりで、「将来は、何になりたい?」って質問にいつまでも答えが出なかった訳だ。
自信がないと、まさか自分がそれになれるとさえ思えない。自己肯定感がほぼなかった。誉められても、嬉しさがあまりない。ただ、勉強ができてくると、手ごたえは嬉しかった気がする。

まだ見えない鎖があるかも。これからもガンガン外して行こう。ダブルバインドの構造に気付いたなら、本人は精神的には大丈夫らしい

息子に連鎖しないように考えて生きたい結婚して家からは自由になり、でも、鼻水を出していきなり号泣する私ですが、そんなオカシイ私にも、主人が側に居てくれて良かったと思う。一緒に「過去は、すごく辛かったね。でも今はあの時とはもう違うから大丈夫だよ。」という、反論はかなり心強く、一日で立ち直れてよかった。ありがとう('ー'*)


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2014.04.23 Wed l SADの私の日記 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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